第一回「第65代横綱・貴乃花引退に際し思うこと」


平成十五年初場所九日目、平成の大横綱・貴乃花光司(貴花田→貴ノ花→貴乃花)が現役を引退した。

近年の相撲不人気にも関わらず、多くのマスコミが彼の引退を取り上げ、国民的な関心事となった。

そして今後の相撲界の存亡が危惧されている声をあちこちで聞く訳だが、今回のコラムは貴乃花引退に焦点を絞ることにする。

よく「日本相撲協会は貴乃花人気に頼りすぎた」と言われるが、そもそも貴乃花人気とは一体何なのか?

元大関・貴ノ花(現・二子山親方)の次男として、兄の三代目若乃花(若花田→若ノ花→若乃花・現花田勝)と

ともにデビューを果たし、数々の記録を塗り替えつつ、史上初の兄弟横綱となる…。確かに素晴らしい。

これだけのことがあれば人気が出て当然だし、大相撲も注目される。

しかし、いつの間にか若貴フィーバーは力士としての若貴兄弟ではなく、

マスコミの標的としての若貴の動向・そして その熱気だけが一人歩きを始めた。

兄・若乃花が引退し大相撲人気も停滞し始めたが、平成13年夏場所、武蔵丸との優勝決定戦。

日本人の殆どの脳裏に焼き付いているあの仁王のような、修羅のような形相。

小泉首相の言ったとおり「感動した」わけだが、 それから貴乃花は随分と長いこと土俵を離れた。

その間に大相撲は未曾有の危機に晒される。前代未聞の多数の休場者。史上稀に見る客の不入り。

相撲協会・大相撲ファンだけでなく、多くの日本人が貴乃花の復活を待ち望んでいた。

そして平成14年秋場所、貴乃花は土俵に帰って来た。私自身、秋場所初日に両国国技館に足を運んだ。

高見盛を相手になかなか力強い相撲を見せた貴乃花は千秋楽まで取りきり、武蔵丸との相星決戦…。

この時は皆大相撲の復権を感じたに違いない。しかし翌九州場所は休場。そして迎えた初場所…。

この場所は一種異様な雰囲気に包まれていた。もはや“貴乃花ファン”というより貴乃花の人気、栄光、

いわば “貴乃花フィーバー”のファンが大騒ぎしていたように思える。

そういった人たちは貴乃花が連日必死の土俵を務めることに対し 気を揉みながらやはり必死だったが、

一方で特に大相撲に興味のない人たちは冷ややかな目でその光景を見ていた感があった。

私は初場所六日目に国技館に足を運び、対土佐ノ海戦を生で観戦した。

昨年秋場所十四日目に綱取りを懸けていた千代大海戦と同じ様に 立合い思い切り変化した平成の大横綱…。

結果としてそれが貴乃花の15年の土俵人生最後の勝ち名乗りとなった訳だが、

あの時貴乃花は、土佐ノ海は、何より土俵上で裁いた立行司・第三十代木村庄之助(初場所限りで定年・本名:鵜池保介氏)は

何を思っていたのか…。横綱土俵入りや塵浄水(チリチョウズ)の際の柏手の力無さからして、

稀代の名行司も横綱引退を既に悟っていたのではないだろうか?

そして初場所最も異常だったのが貴乃花最後の土俵となった中日の安美錦戦の熱気。

升席で踊り狂って大騒ぎしていた中年の女性、敗れて花道を引き上げる横綱に対しかけられた

「辞めないでー!!愛してるからー!!横綱ーーーー!!!」という恐らく同じ女性のものと思われる絶叫…。

私は特に貴乃花を贔屓にしていた訳ではないが、批判するつもりもさらさらない。

貴乃花の相撲人として姿勢は紆余曲折あったものの、まさに大横綱と呼ぶに相応しい。

それはチカラビトとしてだけではなく、 これほど世を動かし、人の心を動かした、いわばメディア横綱は今後当分現れないだろう。

今後、貴乃花親方はどういう弟子を育てるのか?非常に愉しみである。

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