大相撲コラム第五回

平成十五年大相撲夏場所…。

横綱朝青龍の横綱としての初優勝か、大関千代大海の綱取りか…この二つの話題から始まった今場所は

とんでもない波乱の場所となった。

なぜとんでもないことになったのかは賢明な読者諸氏は既にお分かりのことと思うので今回ここで詳しく説明はしない。

それにしても朝青龍ばかりが「品格がない」だの「横綱の地位を汚す暴言暴挙」だのと叩かれることに私は危惧を憶える。

九日目の取組、本当に朝青龍だけが悪いのだろうか?相手の旭鷲山は何も悪くないのか?

塩を取りに行く横綱の背中を睨んでいたり、相変わらずゆっくりとした仕切りでじらしたりした旭鷲山。

今回の件では、旭鷲山にも非がないとは言えない。

取組後、「なかなか手をつかないんだよ、アレが」「叩くやつには罰金だ、叩いたりするから相撲がつまらなくなる」

という暴言を吐いた朝青龍。横綱としてこの発言は品位に欠けるが、しかし彼の言うことには一理ある。

旭鷲山は誰が相手のときでももっと早く手をつくべきだし、「技のデパート・モンゴル支店」と言われた頃のような相撲を

思い出して欲しい。

もちろん朝青龍にも課題は山積みとなったわけだが、あまり周りが品位品格と騒ぎ立てるべきではない。

まあ「横綱として品位を欠く」というのが大方のメディア・見識者の意見だし、私もその意見にはまあ肯定的である。

しかし横綱の「品位」を問う人間の「品位」がまるでなかったりするのも事実だ。

横綱審議委員のナベツネ(もはや本名で呼ぶ気にすらならん)が記者に対し怒りと不快をあらわにコメントしたり、

高砂部屋に何者かが爆破予告の電話をしたり、部屋の公式サイトの掲示板に誹謗中傷を書くような愚か者がいたりしたのは

まぎれもない事実である。人の品位を問う前にまず自分の胸に手を当ててみろ、と言いたい。

話を横綱に戻そう。そもそも「横綱」の定義とは何なのだろうか?

「国技相撲において最上位の番付」?

確かにそれは正解だが、それは「横綱」という「地位」の説明であり、

「横綱」たる「力士」の定義にはならない。

「相手の出足を受け止め磐石な相撲を取り、常に潔く真摯な態度で相撲道に打ち込み、

勝って奢らず負けて悪びれず…」?

それは定義ではなくただの願望や理想である。定義とは言えない。

そう、「相撲」という日本の国技と、「横綱」という地位がいかに神聖な・神聖視されているものといえど、

人が作り上げたものである以上、そこには多少なりとも感情的・世俗的な理論・概念が必ず生まれるはずである。

よって絶対揺るがない「定義」あるいは「律法」などというものは存在し得ないのである。

念のため言っておくが私は相撲や横綱を冒涜しているわけでも軽視しているわけでもない。

むしろ私はそれらを神聖視し崇敬の念でいっぱいである。このことは私自身や私の友人が何よりの証人である。

さて、いくら「定義」がないからといって好き勝手やっていいわけではない。これは当然だ。

相撲が日本の国技であり、土俵入りや塵浄水・塩撒きなどの儀式のもとに行われ、奉納相撲なども行われている以上、

それに携わるものは皆その荘厳な本意を理解し実行しなければならない。

要はそこなのである。マスコミに叩かれるからとか、お客さんに見せるのに恥ずかしいからとか、

相撲協会の減収につながるからとか、そんな下世話な理由で品位・横綱としての資質をを問うべきではない、ということだ。

で。「横綱」たる「力士」の「定義」が存在しないのなら横綱は何を目指していけば良いのか?

そんなものは横綱が自分で探すのである。

横綱は横綱でありそれ以上でもそれ以下でもない。

横綱としての感覚は横綱にしか分からない。

横綱にはもともと絶対的な「定義」はない。

だから横綱は自らの「横綱」という地位を、そこに在位しながらにしてその意味を求めていかなければならない。

自分のあるべき姿「横綱」は、自分が現在在位している「横綱」のそれでありながら、決してそこにはまだない。

なんだか哲学的で抽象的な話だがそもそも「横綱」ってそういう神秘的なもんでしょ?

いつの時代も横綱が自らのあるべき姿を模索しながら強くなり、ファンはその姿を見守る…。それが楽しみなのだ。

各力士の切磋琢磨はもちろん、「横綱の求道」は国技相撲の歩んできた、歩むべき道である。

もし「横綱」の「定義」が理路整然と存在していたなら、国技相撲はこんなに長い歴史をもたなかっただろう。

象徴である地位がそんな安っぽいものではとうの昔に滅んでいたに違いない。

そして「横綱」は誰が何と言おうとそんな安い地位などではないのである。

最後に今場所は「千代大海の綱取り」ならず「朝青龍・不謹慎そして改心・横綱として初優勝」が主な結果だったが、

個人的に危惧すべき問題だと思ったのは、幕内行司・式守勘太夫が蒼樹山に足を踏んづけられたり、

その翌日は軍配差し違えをしていたことである。

私は以前から勘太夫氏の動きの緩慢さは気になっていたが今場所は特に目立った。

何せ第31代木村庄之助に第33代式守伊之助という上位行司の昇格があった場所なのだから行司だって

注目を浴びるのは当然であり、ポカをすればこりゃまた当然目に留まる。

品位を問われるのは何も力士ばかりだけではないということだ。

追伸:「とんねるずのみなさんのおかげでした」の「食わず嫌い王」に朝青龍が出てましたねぇ。

バラエティ慣れしてると言うか、求められている答えをきちんと喋ってましたね。どちらかというとボケなのでしょうか?

時々「また品格を問われるんじゃ…?」と思われる発言がありましたがバラエティに出た以上は砕けたこと言わないとねぇ。

横綱であろうとバラエティに出た以上笑いを作らねばならない。それもまた日本の文化…か。

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