第二話 「ガンスリンガースール(ぉぃ)」


 ここは私立リリアン女学園。
 明治三十四年創立のこの学園は、元は家族の令嬢の為につくられたと言う、伝統あるカトリック系お嬢様学校である。
 東京都下。武蔵野の面影を未だ残している緑の多いこの地区で、神に見守られ、幼稚舎から大学までの一貫教育が受けられる乙女の園。
 時代は移り変わり、元号が明治から三回も改まった平成の今でさえ、十八年間通い続ければ温室育ちの純粋培養お嬢様が箱入りで出荷される、と言う仕組みが未だ残っている貴重な学園である。

「祐巳さん、ごきげんよう」
「ごきげんよう、志摩子さん」
 ここは薔薇の館。リリアン女学園の生徒会である『山百合会』の生徒会室兼サロンでもある、古いながらも上品で趣のある建物だ。
「ねえ志摩子さん、昨日の大相撲観た?」
「え、ああ、はい。み、観たわよ。」
 冷や汗をかきながら志摩子が応えた。
 今日は月曜日。現在薔薇の館の二階のビスケット扉の中にいるのは紅薔薇のつぼみ・福沢祐巳と、白薔薇さま・藤堂志摩子の二人だけ。残りのメンバーはまだ来ていない。
「すごかったよね、由乃さん。全国放送されちゃったよ」
「そ、そこなの?注目する点は?」
「い、いや…もっと重要な点はあるけど、そこには何か触れちゃいけないような気が…」
「…ふぅ、困ったものね。由乃さんにも」
 ぎい……。
「ごきげんよう、お姉さま、祐巳さま」
 扉から入ってきて、向かい合って沈鬱な表情をしている祐巳と志摩子に挨拶をしたのは白薔薇のつぼみ・二条乃梨子。
「あ、ごきげんよう、乃梨子ちゃん」
「ごきげんよう、乃梨子」
「お姉さま、昨日はどうもありがとうございました」
 乃梨子がぺこりと頭を下げる。
「いいえ、どういたしまして」
 志摩子が微笑む。
「あれ?昨日志摩子さんと乃梨子ちゃん一緒だったんだ」
 祐巳が訊ねる。
「そうなのよ。昨日は私の家で乃梨子に我が家の由緒ある品物を見てもらっていたの」
 志摩子が応える。
「あ、やっぱり仏像関係なんだ…。二人って遊園地とかカラオケとか、そういうとこに行ったりしないの?」
 祐巳が少し呆れたような表情で白薔薇姉妹に訊く。
「カラオケですか…あんまりそういうのは好きじゃないんですよ」
 乃梨子が興味なさげに応える。すると続けて祐巳が、
「そういえば乃梨子ちゃんって普段音楽とかって聴くの?やっぱりお経とか法話とか、そういうのしか興味ないの?」
 と、軽く失礼な質問をする。
「いくら私でもそんな訳ないじゃないですか…音楽くらい聴きますよ」
 乃梨子が不服そうに応えた。
「そうなんだ。じゃあどんなジャンルの音楽聴くの?やっぱりデューク・エイセスの『The Zen(座禅)』(註10)とか?」
 祐巳の口から突拍子もない曲目が出てきた。
「は? …一体どんな曲ですか、それは…?」
 そんな曲は知らない乃梨子が半眼で祐巳を軽く睨みながら訊き返す。
「え、知らない? 『えーいへいじ、えいへーいじ。えーいへいじ、えいへーいじ…(註11)』っていう歌」
 祐巳が木魚をぽくぽく叩く真似をしながら歌ってみせる。
「…永平寺? そういうお寺が福井県にあるのは知ってます(註12)けど、そんなおかしな歌は知りませんよ」
 『もう付き合ってられない』といった感じで乃梨子が応えると、志摩子が
「というより、祐巳さんは何故そんな変わった歌をご存知なの?」
 と、意味不明な話題に脚を取られた妹に助け舟を出すように祐巳に訊ねる。
「んー、弟がいつも聴いてる深夜のラジオ番組(註13)で、時々掛かってたんだ」
 こともなげに答える祐巳。
「どんなラジオ番組なんですか…それ?」
 乃梨子が不審物を見るような眼で祐巳を見ながら訊く。しかし祐巳が答えようとするより早く、志摩子が
「それにしても由乃さんたち遅いわね…」
 と、呟く。これ以上『The Zen(座禅)』について議論しても仕方ないと思ったのだろう。無理もない。
 その時。
 ばたーん!!
 ものすごい勢いでビスケット扉が開いた。開いた扉の向こうには汗だくになりながら必死の形相で方で荒い息をしている黄薔薇のつぼみ・島津由乃。
「ど、どうしたの由乃さん?」
 祐巳が唖然とした表情で訊ねる。
「どうもうこうもないわよ! もう祐巳さんたら私を置いてさっさと行っちゃうんだから! 新聞部に捕まってここまで来るのホント大変だったんだからね!」
 なるほど。新聞部を撒いて来たのか。ただでさえ基礎体力が平均以下の由乃が全力で逃げてきたのだからそりゃ大変だったろう。
「新聞部…? ああ、そういうことですか」
 乃梨子が一人納得したようにうなずく。
「昨日あんなことしたんだもの、そりゃ追いかけられるわよ」
 祐巳が呆れたように言う。すると志摩子が、
「ところで、黄薔薇さまは一緒ではないの?」
「え、令ちゃん? おとりにしてきたわっ」
「お、おとり…?」
 つまり、新聞部を撒くのに途中まで一緒だった姉をおとりとして置いて来た、ということなのだろう。ひどい話だ。
「で、ところで昨日は結局あの後何もなかったんですか?」
 乃梨子が冷静に訊ねる。
「ああ、あの後は特に何もなかったわよ。ただ…」
 思わせぶりな語尾。
「ただ?」
 祐巳が心配そうに訊き返す。
「…理事長曰く、『奴の非礼はまだ続く』って…」
 由乃が珍しく不安げな表情で呟く。
「ちょ、ちょっと…続くって、ヤバイじゃないですか」
 乃梨子が少し慌てている。
「由乃さんみんなの前で自分がリリアンの生徒であることを言ってしまったものね…。しばらくは大変なことになりそうね」
「うわぁ……」
 祐巳が『これからどうなるんだろう』という顔で声を漏らす。声に出さなくても表情で思考が読み取れる。さすが妖怪百面相。
 四人が頭を抱えていると、何やら外が騒がしくなってきた。
「どうしたのかしら?」
 志摩子が部屋から出て一階に降りた。すると窓の外には新聞部の山口真美と写真部の武嶋蔦子の姿、そして山百合会幹部ではないものの最近よく薔薇の館に出入りしている松平瞳子の姿が。何やら瞳子は二人に色々質問されているようだ。やはり「昨日の由乃vs播磨灘事件のことについて何か知らないか?」という内容の質問だろう。
 これは大変、と二階に戻った志摩子が、
「大変!瞳子ちゃんが真美さんと蔦子さんに質問責めに遭ってるわ」
「え! どうしよう!」
 祐巳がわたわたと両手を動かして動揺する。
「うーん、でも私たちが出て行ったところで状況が好転するとは思えないけど」
 事件の張本人である由乃が意外と冷静に分析する。
「確かにそうですね」
 同じく冷静な乃梨子。
「でも、瞳子ちゃんを助けないと」
 祐巳が訴える。
「別にしばらく放っといてもいい気がするけど。自称女優なんだし取材には慣れてるんじゃない?」
 瞳子のことをあまり快く思っていない由乃が投げ遣りな発言をする。
「由乃さぁん」
 困る祐巳。
 その時突然、とんとんと、四人がいる二階の窓を何者かが叩く音がする。
「?」
 不思議に思った祐巳が振り返ると、
「祐巳さまっ」
 一人の長髪少女が窓の下からぬっと顔を覗かせている。
「か、可南子ちゃん!?」
 そう、その少女の名は細川可南子。いろいろヤバイ動機と理由で祐巳を慕っている一年生だ。
「助けに来ました!」
 窓越しに満面の笑みを浮かべて誇らしげに宣言する可南子。まるで囚われの姫を助けに来た王子様だ。
 祐巳が窓を開けようとする。窓にぶつからないように可南子がいったんしゃがむ。窓を開けながら、思い切りボケたことを言う祐巳。
「ところで可南子ちゃん、随分背が伸びたね?」
「そんなわけないでしょう、彼女は一体身長何メートルあるんですか」
 一応乃梨子が突っ込む。すると可南子はくすくすと笑い、
「ふふふ、祐巳さまったら面白いご冗談を。はしごを使ってるんですよ」
 と言う。
 そう、可南子は地面からはしごを使って二階の窓まで上がってきたのだ。それにしてもこのはしごはどこから持ってきたのだろうか?
「とにかく皆さん、早く逃げましょう」
 可南子が急かす。
「はしごで降りるの…?ちょっと怖いわね」
 志摩子が呟く。
「大丈夫だよ、私がついてるから」
 乃梨子が勇気付ける。
「乃梨子…」
 志摩子と乃梨子がしばし見詰め合う。しかし、
「はいはい、甘々な展開は後にしてね。さっさと降りるわよ」
 由乃が白薔薇ーズの背中を押して窓のほうへ連れて行く。
「では私は一度下に降りて、はしごを支えてますから降りてきてください」
 そう言うと可南子は素早く下に降り、はしごの根元を押さえる。
 そして祐巳、乃梨子、志摩子、由乃の順に二階から館の裏側へと降りてきた。
 全員降り終わったところで祐巳が、
「ところで可南子ちゃん、表に瞳子ちゃんがいるんだけど…」
 瞳子も一緒に逃げさせようとするが可南子は、
「…大丈夫なんじゃないですか? 自称女優なんですし取材されるのは好きなんじゃないですか?」
 哀れ瞳子。


 表側で粘っている真美と蔦子に見つからないようそろりそろりと歩き、正門へとやってきた五人。
「ふぅ〜、これで一安心ね」
 と由乃が安堵したのも束の間。
「ちょっと見てください、あれ!」
 乃梨子が指差す正門の外には、TVレポーターやらカメラマンやら音声さんやら数十人のマスコミ関係者が一人のリリアン生徒を取り囲んで質問とフラッシュを浴びせているではないか。
「あの、ここの生徒の方でらっしゃいますよね!? 昨日ここの生徒が横綱播磨灘と一触即発になったことについてどう思いますか!?」
 そんなこと訊かれても正直答えようがないだろう。いい迷惑とはこのことだ。
「申し訳ありませんがそのようなことはお答えできません」
 訊かれた生徒はきっぱりと返答を拒否する。
「あ、あれは祥子さま!」
 祐巳が軽く叫ぶ。そう、今正門で報道陣に取り囲まれているのは誰あろう紅薔薇さま・小笠原祥子その人なのであった。
「ねえ、そんなこと言わないで何か答えてちょうだいよぉ〜!」
 中年の芸能レポーターが執拗に迫る。その妙に毛深い手が穢れなき紅薔薇の腕を強引に掴んだ…その時!
「私のお姉さまに何をしとるかーっ!!!!!」
 どげしっ!!
 大事な姉を守る為、祐巳は中年オヤジレポーター目掛けて地を蹴って走り出し、手にしたカバンでオヤジの顔を下から思い切り強打する(註14)。その脅威の一撃を喰らい、オヤジはきりもみ回転しながら正門の前方上にある歩道橋に直撃し、道路に落ちた。
「ぜぇ、ぜぇ、はぁ、はぁ…」
「祐巳!?」
 その突撃のクリティカルヒットに一番驚いているのは祥子本人だった。
「だ、大丈夫ですか、お姉さま…?」
 火事場のバカ力を出したせいか、そのまま姉の胸に倒れこんでしまう祐巳。
「…ありがとう、祐巳…」
「祐巳さまーっ!!」
 自分の為に闘ってくれた妹をやさしく抱き抱える祥子。あまりのことにその場にへたり込む可南子。
 一方で…
「ちょっと、あんたたち何してんのよ! あんたたちが用があるのは私でしょ!?」
 見かねた由乃が報道陣の紅薔薇姉妹の代わりにまん前に立って仁王立ちになると、堂々と宣言する。
「播磨灘でもマスコミでも、何でもかかってらっしゃい! 私は天下無敵よ!!!」
 何となく取り残された白薔薇姉妹はというと。
「もういや…関わり合いになりたくない」
 頭を抱える乃梨子と、
「ホント、困ったものね…」
 右の手のひらを頬に当て呟く志摩子なのでありました…。

つづく。


注釈


註10:デューク・エイセスといえば、言わずと知れたムードコーラスグループの大御所。
本来彼らはまともな曲が本分なのだろうが、永六輔&いずみたくプロデュースで「にほんのうた」という、各都道府県をテーマにした曲のシリーズを歌いレコード/CD化している。
「君の故郷は(東京)」「女ひとり(京都)」など、まともな曲もあるが、どういうわけか「筑波山麓合唱団(茨城)」や「クンビーラ大権現(香川)」、「マンボ鵜(岐阜)」、そしてこの「The Zen/座禅(福井)」などかなりぶっ飛んだ内容の曲も多い。正直デューク・エイセスのこれらのぶっ飛びソングの魅力に取り憑かれると、同じ都道府県の歌でもはなわの歌なんぞまったく面白いとは思わなくなる(笑)

註11:この「The Zen/座禅」は時間にして約3分の曲。
最初の約1分は「えーいへいじ、えいへーいじ。えーいへいじ、えいへーいじ」と延々コーラスが続く(しかも回数を重ねるごとに段々音程が高くなる)。
1分から2分に掛けて「眼を閉じて語らず訊かずただひたすらに己を見つめ命を見つめ世界を見つめ宇宙を見つめ…」などとしばらくお経が流れる。
そして最後にまた「えーいへいじ、えいへーいじ。えーいへいじ、えいへーいじ」とコーラスが再開し、やがて終る。
ネタとしてはかなり面白い曲だが、一歩間違うと怪しい宗教の洗脳曲のよう。いい大人がひとり部屋で聴いている絵を想像すると正直不気味を通り越して怖すぎる。例えばアパートで一人暮らしをしていて、隣の部屋から夜な夜なこの「The Zen/座禅」が聴こえてきたりして御覧なさい!怖くて眠れなくなりますよ。

ちなみに曲中にこの「永平寺」というフレーズはなんと合計55〜56回(曲の最後がコーラスのフェードアウトなので明確には数えられないのだ)も出てくる。

註12:「永平寺」は福井県吉田郡永平寺町に実在する寺であり、前述の「The Zen/座禅」は福井県というより、この寺自体を思い切りフィーチャーした曲である。
ちなみにこの永平寺は数々の重要文化財を所蔵しており、仏像鑑賞や仏閣めぐりが趣味の人にとっては有名な場所だろう。そのため乃梨子が「The Zen/座禅」を知らなくても永平寺という寺名を知っているのは自然なことと思われる。

註13:小堺一機氏と関根勤氏がパーソナリティを務めるTBSラジオ「コサキンDEワァオ!」のこと。番組内の人気コーナー「意味ねえーCD大作戦(レコードやCDなどの楽曲や効果音を駆使して思い思いのネタを披露する、ハガキ職人の腕が問われるコーナー)」で、時々忘れた頃にこの「The Zen/座禅」が登場することがある。
それにしても祐麒をコサキンリスナーにしてしまった…いいのか?いいか、花寺の生徒会って祐麒以外、超の付く変人ばっかりだし(こら)。

註14:「ガンスリンガーガール」の某シーンより引用(ぉぃ)。今回のサブタイトルの命名はここから。ていうかいくらなんでもマリみての二次創作で銃器なんて出てくる訳ないじゃん(どうだか?)。


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